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現役高校生・大学生による
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2017年11月9日

フェスティバル/トーキョー17『パレスチナ、イヤ―ゼロ』劇評

撮影=青木 司

 もしも、あなたの家が瓦礫になったら……

 演劇を観る、というのはどういうことなのだろうか。娯楽として? 教養? 何かを学ぶため? 演劇は何を観るものなのだろうか。戯曲? 演出? 役者? どれもおそらく間違っていない、ただそれぞれの答えは「演劇を観る」ことの大正解でもない。あらゆる要素を含む演劇は一つの側面から切り取って全てを語ることは出来ないし、また構成要素を挙げても語ったことにはならないだろう。舞台の上にあるそれぞれの要素が結びついてだけでなく、演劇には舞台の目の前に生身の人間がいる。観ている側からの眼差し、舞台の目の前にいる観客の存在は、一つの舞台の構成要素だ。演劇は舞台の上から何かを発する、または観客が何かを感じる、相互的な営みだ。だから演劇は空間の芸術でもある。

 では『パレスチナ、イヤーゼロ』を観る、とは?

 開演前から舞台上には一人の男性(ジョージ・イブラヒム)がおり、机の上で何か作業をしている。その後ろには高いラックが並べられ、その中には段ボール製の収納ボックスが規則的に、隙間なく並べられている。また舞台上部にはアラビア語とヘブライ語で上演されるため、日本語字幕を表示するスクリーンが設けられている。まだ照明の付いた客席には少しずつ人が入り始めて、その男性がチラチラと客席を見つめるとき、観客もまた観られているという緊張が走る。開演した後も暫く付いたままの照明の中にいると、真っ暗な劇空間に身を置く以上のリアリティを持ち、モノローグは観客への問いとなる。あなたはこの現実をどう観る?と。

 舞台はパレスチナ人鑑定士の事務所、イスラエル当局によって破壊された家の瓦礫を調査する鑑定士(ジョージ・イブラヒム)のファイルを通して、実際に起こった家屋の破壊が物語られる(作・演出イナト・ヴァイツマン)。家が破壊される度、舞台奥のラックから段ボール箱内の瓦礫が舞台上にばら撒かれ、積み上げられた瓦礫の山は舞台上部の字幕と強烈なコントラストを成していた。そして語られる言葉と瓦礫を繋ぐように佇む役者が、演劇という形でしか表現できない生身の人間が目の前にいることで、虚構であるはずの演劇に現実の出来事であるという重さと生々しさを与えていた。もしも翻訳台本を日本人が演じていたならば、また違った作品になっただろう。アラビア語とヘブライ語で語る役者の身体性が演劇という形で現実を語ることの重みを担っていた、と言えるだろう。

  また一年毎に壊された軒数のデータを示す際には、ドラムの音とともに字幕を追えない速いペースで語られるデータが、数字としてこの惨状をみなしてしまう暴力性を表していた。人間の声で語られる言葉が、空間を伝って客席に広がることで、よりその危険性を浮き彫りになった。 『パレスチナ、イヤーゼロ』は演劇空間を有効に使いながら、虚構に陥ることなく生々しい現実を今の日本に届けている。(小林礼奈)

【公演情報】
フェスティバル/トーキョー17主催プログラム『パレスチナ、イヤ―ゼロ』
作・演出:イナト・ヴァイツマン