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2016年4月1日

チャレンジふくしまパフォーミングアーツ『タイムライン』劇評

タイムラインー非日常の演劇から日常を浮かびあがらせる

 マームとジプシーの藤田貴大、作曲家の大友良英、そしてその他にも有名クリエイター達が、福島県の中高生とともに1年間をかけて「ふくしまパフォーミングアーツ」と称してミュージカルを製作するというのを昨夏に知った。この企画は震災がなければ立ち上がらなかっただろう。自分と同世代の中高生たちが、震災から5年の月日を経てなにを表現するのか。それをこの目で確かめたいと思い、福島に向かった。

 会場となった福島県文化センターは福島県の内陸、いわゆる中通りにある。福島駅からは距離にして2キロほどの場所だ。福島駅前は商業施設も多くあり、活気があった。津波による被害がなかったこともあり、5年前の震災の爪痕のようなものはなにもない。しかし会場へ向かう道すがらにも「震災を忘れない」と刻まれた石碑が立っていたりと、ここはやはり東京とは違うのだと思い返した。東京で暮らしていると、震災のことを考える機会はそうない。自分だって5年前は地震にあった。電車が動かなくなり、学校で一夜を過ごした。しかし周りで亡くなった人がいるわけではない。大きな被害を目の当たりにしたわけでもない。目にしたのは画面越しの、特撮のような、リアリティのない映像だけだ。福島や宮城、岩手など、甚大な被害があった場所の人たちとはあまりにも違いすぎる。家族や友人を亡くした人たち、未だに避難生活を強いられている人たち… もちろん被災地に住む人々全員がそうではない。震災前も、後も、そう変わらない暮らしを送っている人たちもいるだろう。今回の作品に出演している中高生もそれぞれがそれぞれの震災を経験しているはずだ。震災後に福島に移り住んできた子もいるかもしれない。共通しているのは「いま福島に住んでいる」ということだけだ。たったそれだけの共通項から『タイムライン』という作品が立ち上がった。

 舞台床面に白いテープで四角形が作られている。その中には白いテープで猪苗代湖や磐梯山などの福島の風景や鉄道の路線、福島第一・第二原子力発電所、そして出演者たちの家であろう場所がテープでかたどられている。音楽が鳴り始めると出演者たちが出てくる。舞台に寝転ぶ子、座る子、さまざまだ。そして朝の風景から舞台は始まった。

 「いつだかの朝、やっぱりあの日も、朝は訪れた…」生徒たちの「おはよー」のあいさつが、舞台上のあちこちで飛び交うなかにそんなセリフが紛れ込む。なかなか起きない子を起こしに来たお母さん、同居しているおじいちゃんに、待ち合わせ場所で友達と会って…

 そして「おはよー」のあいさつは「いってきます」へと変わる。朝練に遅刻しかけて家を飛び出す子、時間通りに家を出る子… 一人ひとりの「おはよー」「いってきます」で、毎日繰り返しのようで、でも全く違う、だけどいつだって平凡な朝の風景が浮かび上がる。

 舞台はそれぞれの家庭から、学校へと移る。ホームルームが始まる。出欠確認。ゲーム形式で進んでいく。

 出欠確認が終わると1時間目の国語の授業が始まる。生徒たちがそれぞれに接続詞を挙げていく。音楽が流れだし急にミュージカル調になる。ラップに合わせて接続詞がどんどん生徒の口から飛び出す。楽しい。

 2時間目。英語の時間。みんなが英単語を読み上げていく。一番最後に読み上げられた単語は“balloon”舞台中央に気球の模型が釣り上げられていった。気球が空に上がっていくのは、暖かい空気は上に行こうとするからだという。でも方向は操作できない。気球は風任せなんだと誰かが言った。

 3時間目。数学。計算問題。足し算、割り算… 「割るって割り切れるの? 割り切れないことって確かにある。けど割り切ろうとするのはなんで。」また誰かが言った。単なる数学に対する疑問ではない。人間の、生きていくということに対する問いだろう。容姿、出自、家庭環境… 生きていくうえで割り切らなければ、折り合いをつけなければ、進めないことは多々ある。飴屋法水といわきの高校生たちで作られた『ブルーシート』でも同じようなことが語られていた。高校生という多感な時期を過ごす中で、誰しもが一度は考えることだろう。

 4時間目。社会。クイズ形式で授業が進んでいく。そして昼休み。給食。掃除。

 5時間目。体育。バレーボールの試合が始まる。音楽と照明、そして体の動きによって臨場感が生まれる。そこにボールとネットがあるように思えてくる。まさに演劇の醍醐味だ。

 6時間目。音楽。みなが楽器を演奏する。

帰りのホームルーム。変哲のない1日だけど、もう繰り返せません。そういって学校での1日が終わる。    

 舞台左右に置かれたプロジェクターに、出演者たちの日常風景を写した写真が次々と出てくる。歌を歌いだす。 「冬型の気圧配置、強めの寒気」 たったこれだけの歌詞だ。だが、普段暮らしを送っていて、気には留めずとも天気予報から流れてくる中で、誰しもが一度は聞いたことがあることばだろう。藤田はこの作品を通して、日常を描くということに徹したのだ。震災を絡めて、もっと感傷的な芝居を創ることもできたはずだ。その方が観る側にとってはわかりやすい、ステレオタイプな感動を与えられただろう。そういった作品にも素晴らしいものはある。しかし藤田はそれを避けたのだ。舞台の中で「あの日」というフレーズが多用される。それが3月11日を指すのかもわからない。3月11日ではないのではないか、と思わせるセリフもあった。でもそれでいいのだ。それぞれがとりとめもなく過ごしてきたいつだかの日。変哲のない日。それが「あの日」なのだろう。  

 演出は子ども版マームとジプシーとでもいえばいいのだろうか。普段のマームとジプシーほど激しい身体表現ではないが、見ごたえは十分だ。リフレインの技法も多用されている。マームとジプシーの公演におけるリフレインは、自分にとってはくどいと感じることも多かった。しかしこのタイムラインでは、リフレインがすっと馴染んでくる感覚を憶えた。  

 出演者の生徒たちからはこちらまで緊張感が伝わってきた。しかし日常の彼ら、等身大の彼らを精一杯に表現していた。拙いと感じる場面がなかったわけではない。しかしそこも含めて等身大の彼らだ。プロの役者でない彼らがあれほどの動きができるようになるまでにはかなりの時間と努力を要したはずだ。素直にすごいと感じる。  

 生オケも福島の中高生が行っていた。セリフから、身体から舞台が立ち上がるというのはよくあるが、音から舞台が立ち上がる、というのはなかなかないことだろう。この『タイムライン』はそのすべてを体感できた。出演者、そして藤田をはじめとするクリエイターたちの賜物だろう。

 大友良英の曲はどれもポップでよく耳に馴染んだ。大友は生オケにもギターで参加していた。誰よりも楽しそうに舞台を見つめながら、ニコニコとギターを弾く姿は少年のようだった。酒井若菜の振付も整然として、だけどどこか脆そうで、観る者を引き込んだ。終演後、出演者たちがみなロビーに並んでいた。笑っている子、泣いている子… それぞれの表情があった。でもみな満足げだった。幸福感を身に纏っていた。自然体だった。やっぱり演劇は日常には敵わない。そうも思った。

 ラストシーン、歌い終えた生徒たちが円になって、舞台中央にぶら下がった気球を見つめる。気球はどこへ進んでいくかはわからない。いつだってゆっくりと風に任せるしかないのだ。そのどうしようもなさに身を委ねることこそ折り合いをつけるということだ。特段変わった動きも出来ず、ただ風任せでいる平凡さ。それでいい。それがいい。平凡ほど満ち足りたことはないのだ。福島の詩人、和合亮一さんが震災5日後にTwitterに書き込んだ言葉がある。

「これまでと同じように暮らせることだけが、私たちが求める幸福の真理であると思う。」
(和合亮一 @wago2828 2011-03-16 23:56:36)

 終演後、会場の外に出ると暗闇だった。東京では見られない星空が広がっていた。「あの時」と変わらない星空だろう。会場の前に桜の木があった。つぼみのものもあれば一分咲き程度の桜もあった。「あの時」と変わらず、また今年も花が咲くのだろう。そろそろ満開になったころだろうか。「あの時」から5回目の春を迎えた。また来年も、再来年も、そのまたその次の年も。みなが平凡な、代わり映えのしない春を迎えられたら。そう、強く思う。

 このチャレンジふくしまパフォーミングアーツという企画は画期的なものだと感じる。しかし1回きりで終わるのではなく、これから先も継続して行っていくことが重要だと感じる。演劇のチカラを試す機会でもある。来年以降の開催も期待したい。(石本)

(敬称略)

【公演情報】
チャレンジふくしまパフォーミングアーツ『タイムライン』
作・演出/藤田貴大
2016年3月26日(土) 福島県文化センター・大ホール
2016年4月3日(日) いわき芸術文化交流館アリオス・中劇場