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2016年6月17日

green flowers『さい、なげられて』劇評

『さい、なげられて』受け入れることそして前へと進むこと

 『さい、なげられて』は劇作家イトキチと演出家内藤裕子のユニット、green flowersの冠婚葬祭シリーズの第三弾として打たれた公演だ。この公演は「祭」にあたるという。

 劇場に入ると、舞台上にはどこにでもあるようなリビングルームが組まれていた。そこに、亡くなった父の四十九日法要のために4人の息子や娘、孫たち家族たちが集まってくる。本来なら四十九日に納骨するのが一般的な慣習だ。にもかかわらず、遺骨は手元に置いておきたいと主張する母を訝しむ家族たち。そこに突然見知らぬ男がやってくる。その男は実は父親の隠し子で、遺骨を分骨しろと迫り、家族の雰囲気をかき乱してしまう。しかし、父が作ったすごろくを家族が囲んだことで、ひびが入った関係も修復される。母の家出騒動や家族の喧嘩を乗り越えて出された結論は、分骨はせず、遺骨は手元に置いておくというものだった。

 父親の隠し子役はかなりの変人という難しい役柄だったと思うが、鍋嶋大輔が絶妙なバランス感覚で演じていた。母親役の岡本瑞恵も、出番こそ多くないものの場の空気を自分のものにしてしまう存在感を纏っていた。他の役者陣もそれぞれが強い個性を持った役柄だったが、きちんと咀嚼し、演じていた。本物の家族といわれても違和感を覚えなかったように思う。

 シェイクスピアは「演劇は時代を映す鏡だ」と語っている。この『さい、なげられて』もその言葉通り、うまく時代を切り取っていると感じた。他者を理解しようと、受け入れようとすること。死者の弔い方。SNSの普及。家族の形。追いつくのがやっとのほどの速さで変わっていく時代を作者がどう感じ、どう捉えているのか。それをひしと受け取ることができた。人生は賽の目のごとく、すごろくのごとく、自分の意志のままにはいかないばかりだとも、改めて気づかされた。だが、多くの要素を盛り込んだ反面、一つひとつの要素の掘り下げ方が少し浅くなってしまっていたようにも感じた。深く掘り下げて、観客にさらなる気付きを与えてくれればさらによかったように思う。
 演出面では出ハケと暗転をうまく活用し、場面の切り替わりが非常に分かりやすかった。決して大きな劇場ではないが、家具の配置も工夫されて、空間を広く見せることにも成功していた。

 『さい、なげられて』タイトルの「さい」にはいくつもの意味が込められている。その「さい」を観客たちはどう受け取ったのだろう。なにか一つかもしれないし、あるいは複数かもしれない。どちらにせよ観客みながなにかを受け取り、持ち帰ったはずだ。じわじわと効いてくるとでもいうのだろうか、この先またどこかできっと思い出すような、そんな公演であった。(石本)

【公演情報】
green flowers『さい、なげられて』
作/イトキチ 演出/内藤裕子
2016年6月8日(水)~2016年6月12日(日) 劇場HOPE