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2018年3月2日

東宝ミュージカル『FUN HOME』劇評

冴える演出、記憶を巡る生身のミュージカル

 難解な作品だ。いや、一見では観づらい作品といった方が良いだろうか。アリソン・ベクダルによる自伝的コミック『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』を元に、幼少期、大学時代、そして43歳の「3人のアリソン」が登場する上に、その時間軸はバラバラに構成されている。エピソードは幼少期から大学時代へ、また幼少期へ、と飛び、時間が一直線に進んでいるわけではない。更に、特徴的なのは43歳の漫画家であるアリソンが過去の出来事に「注釈」という言葉を添えて振り返るのだ。その中で思い出されるのは、自殺した父のこと、大学時代の初体験、自分がレズビアンであることを自覚した瞬間、父と語り合った文学……。起承転結のはっきりした、時間に沿った構成を敢えて踏まないことで、劇空間には生々しい「記憶を巡る体験」が濃密に漂うことになる。まるでプルーストのように。

 原作コミックは膨大な文学的引用を駆使し、その都度「注釈」として解説を併記している。その中でもジェームズ・ジョイスなどと共に引用されるプルーストは「ある五感から呼び覚まされる記憶のテクスチャー」を文学の世界で表現した。ただ、演劇の世界ではたとえ台詞として文学をそのまま引用しても同じ効果を生むことは難しいだろう。そこで「注釈」を(劇中では)「いま、ここ」のアリソンが過去の自分を振り返るときの記号として使うことで、記憶の生々しさやテクスチャーを伝えている。特に初体験の後の戸惑いやエネルギーを気恥ずかしく思いながら振り返る様はチャーミングだ。

 構成と共に特徴的なのは、会話の中で言いよどんだり、沈黙したり、戸惑う登場人物だ。台詞や身振りはしばしば整合性の取れた、滑らかで流暢なものとして登場しない。言いたいことを言えなかったり、そもそも自分の思いを自覚できない生身の人間が舞台上で息づいているからこそ、記憶には感触が生まれていく。「記憶を巡る体験」はアリソンが体験し、思い出すことを超えて、ザラザラした劇空間のテクスチャーは観客に劇体験を通して思わず自分の人生を想起させる。一見難解に見えるこの作品がそれでもエモーショナルな作品として世界中で愛されるのは、そんな人の記憶にスッと入り込んでいく優しさやユーモア、そして胸をつかむ切なさが普遍的な感覚だからだろう。

 本作で自身初のミュージカルを演出した小川絵梨子は小道具や照明の色彩的対比を駆使しながら、丁寧に戯曲を読み込むことで父への後悔の念に悩むアリソンの内面の葛藤や、過去や周囲との距離感を細やかに演出した。

 役者のアンサンブルも見事だった。主人公アリソンを演じた瀬奈じゅんのチャーミングさ、父ブルースを演じた吉原光夫の影が滲む佇まい、大原櫻子のフレッシュさを中心に演技力、歌唱力共に充実の布陣だ。弦楽器を中心とした難曲の数々や台詞のどもりを上手く調和させることで、リアリティがありつつも、感情が溢れ出す美しい劇空間を創造した。

 たとえばアーサー・ミラーが『セールスマンの死』の中で、ある中年セールスマンが自殺するまでの一日を過去と今を混合させて表現したように、またはテネシー・ウィリアムズが自伝的な『ガラスの動物園』で追憶として故郷と家族を語ったように、アメリカ近代演劇的な手法と時間や因果の飛躍を得意とするミュージカルを融合させることで、『FUN HOME』はより劇的にコミックのミュージカル化に成功した。是非5年後、10年後にも再演をしてほしい作品だ。アリソンが長い時間を経て過去を反芻したように、きっとこの作品も時間を経過することで「シンカ」していくだろう。

(2018年2月10日鑑賞 文責:小林)